市民自治こがねいのあゆみ 

 
1996.12~2005.3

(記:陣内直行)
 Ⅰ 市民選挙が呼びかけられた  



 30人ほどの市民によって市民選挙が呼びかけられた。1996年の暮れのことである。翌年の3月市議選に市民運動から候補者を出そうというのである。

その時のよびかけ文である


 人々のいのちと暮らしを支えるはずの厚生省が、人殺しのお先棒を担いだり、福祉を食い物にしたり、官僚の腐敗もここに極まりといった感じです。行政と政治に対する不信は募るばかりです。マスコミは投票率の低さから、国民の政治離れを嘆きますが、決して私たち市民は政治に無関心ということではありません。それどころか、市民が主体となった新しい政治の流れを強く求めています。新潟県巻町の原発建設をめぐる住民投票、沖縄での米軍基地を巡る県民投票など市民自治を確立するうえで極めて貴重な試みも始まっています。また、情報公開や市民オンブズマンによる行政への監視と異議申立ても各地で活発化しています。
 私たちも、まずは政治のあり方を変えていくためには、暮らしの場である地域から声を上げていきたいと思います。ひとりひとりが一番身近な政治・市政のあり方に関心を払い市民自治に根ざしたものへと変えていきたいと考えています。しかし、その身近であるべき小金井市政は市民にとってたいへん不透明で、閉鎖的、ある時は東小金井駅北口・区画整理問題に見られるように市民無視で押しつけ的でさえありあす。そして、そんな行政を様々な角度からチェックしたり、市民の多様な意見を積極的に反映させるべき議会は議員定数の削減を自ら決めるなど、市民との溝を深めています。
 そのような中で、来年3月(16日公示、23日投票)、小金井市議会議員選挙が行われます。4年に1度の市議選は市民にとって市政のあり方を変える絶好のチャンスです。「市財政危機」のなかで、これからの小金井をどのように構想していくのか、が問われる大切な市議選です。
 そこで、私たちは、市民自治が息づく小金井市をつくりあげたいという共通の思いを持った仲間を候補者として、手づくりの市民選挙を多くのみなさんと一緒に繰り広げたいと考えています。既存の政党や、議員では自らの意思やおもいが伝わらないと日々感じているみなさんと共に、新しい風を小金井に吹かしたいと思います。
 市議選まであとわずか100日、時間がないことに加え、組織もない、お金もない、そして大事な候補者も決まっていないとあっては「選挙のプロ」からすればあまりに無謀な試みといえます。しかし、私たちのこのよびかけが人から人へとそれぞれの思いが伝わり、響きあい、ひとつの流れができるなら、やってやれないことではないと考えています。
 趣旨をご理解いただき、ぜひともご賛同くださるようお願い申し上げます。


 このよびかけに賛同した人たちが集まり、候補者探しが始まった。しかし、なかなか思うように進まず、年を越し、時間切れ、断念?という状況のなかで、よびかけ人のひとり漢人さんが前向きに考えはじめてくれた。ひとり娘から「出てみたら」の一言があったという。期限を切って最終返事をもらうことにした。しかし、返事は電話だった。NOだった。考えた末のことであろう。それ以上説得することはできないと私は思った。大賀さんに連絡した。翌日大賀さんから電話、「漢人さんが引きうけてくれた」「え?!」 会社を休み、人を誘い漢人さんを口説いたという。1月は中旬、投票日まであと70日での決断であった。
 そんな私たちが最初に決めなければならなかったのが選挙母体の名称。名は体を表す。選挙時だけの「後援会」のような組織ではなく、選挙、当選をステップに市政のあり方やまちづくりについて発言し、行動していく持続的な組織をめざしたい。それが市民選挙に参加した私たちの共通の考えだった。「市民自治こがねい」という名前にはそんな思いが込められている。請負主義、おまかせ主義に陥りがちな議員と市民の関係を変えたいという強い意思の表れでもあった。
 残された時間はごくわずか、他の候補者はすでに精力的に活動を開始している。漢人さんと産声を上げたばかりの『市民自治こがねい』は知らない者の強み、一気にアクセルを踏んだ。

市議会議員漢人あきこの誕生
 定数25名に31名が立候補という激戦のなか、漢人明子さんは1012票を獲得。19位での当選だった。
 政党や団体の支援もなく、お金もない、時間もわずか、選挙のノウハウも見よう見真似、文字どおり手づくりの市民選挙。それぞれの市民が自分のできること、知恵や技術を持ち寄り、熱い思いで60日間を駆け抜けた結果であった。選挙という共通の体験を通じて、出会いは広がり、結びつきは深まり、相互の信頼感は高まり、市民自治こがねいの土台は作りあげられていった。
 当選を祝う会。それぞれが一言づつ語った。なかでも「夏休みの宿題がやっと終わった感じ」、黒崎やすこさんの言葉が今でも印象に残っている。
 黒崎さんは前回の市議選の候補だったが、200票及ばず落選した。この時事務局長役をしていたのが漢人さん。同じ共同保育園での保母仲間でもあった。4年前の無念さがようやく晴れたのだろう。黒崎選挙の敗北がなかったら漢人選挙の勝利もなかった。それにしても、宿題を終え、ホッとしたのか、それからの彼女、いよいよマイペースである。

「スーツは着たけど’ふだんぎの選挙’でした

 ~1997年 初当選直後の文章より~

 3月23日投票の小金井市議選。市民選挙をやろう、市民の代表を議会に、という動きはだいぶ前からあったものの具体的に候補者が決まらず、エーッ見送り?という中での年明け。なにを思ったのか私が手を挙げてしまったのが1月末、ちょうど2カ月前のことでした。
 「政党も組織もなくて今頃何を考えてるの?」とか「議論を巻き起こすための立候補?」とか言われながらも、どこかで「だいじょうぶ…」という思いを持ってのスタートでした。それは単に楽観的なのではなくて、「このまちでちゃんと"市民"をやってきている」という、私自身への、そしていっしょにこの選挙をやろうとしている人たちへの信頼があったから。
 ただ、「あきらめてしまっている人の多い選挙」の中で、それぞれにバラバラな思いや動きを、まとめていくことができるかどうかが問題だったのかなと思います。<br>  でも忙しかった!資料・ポスター・はがき作り。ゆっくり検討する時間なんかないはずなのに、いろんな意見がどんどん出てきて…。  それでも、なんとかなったのは、誰かがどこかで頑張ったから、がんばり具合はそれぞれで、そのそれぞれに楽しめたように思います。連日の深夜におよぶ作業から、最終日の駅前集会の盛り上がりまで。
 候補者になったことで、まわりの人も私自身も、つい、なんでもわかる特別な人を期待しがち。そのたびに私の求めていた議員は?と自問してきました。
 今の私にわかるのはこれだけ、思いはこう、そしてありのまま正直に目の前の人と向き合うのがいちばん。そのおかげで、声をからすこともない選挙ができたのかもしれません。
 新しい議会は、平均年齢が45歳。25人中、新人5人、女性7人。与野党逆転。いろんな意味でドキドキしています。思いは高めつつ、でも今度は"ふだんぎの議員"をやっていくんだよ、と深呼吸の毎日です。 
(アクト-市民の政治-1997.4.7号「自治体議員だより」より)


選挙結果と市議会の変化
 選挙結果は市議会の構成に大きな変化をもたらした。その一つは少数与党化。「与党」系は公明、社民が立候補を減らし、自民が2名落選したことで14名から12名、逆に「野党」系は11名から12名に、これに加え生活者ネットがそれまで「与党」的と見られていた現職が落選、変わりに当選した新人が「野党」的にスタンスを変えたことで与野党逆転となった。変化の第二は「多党化」現象である。共産党5名、公明党3名、民主党2名、市民の党2名、自民党2名、ネット、さきがけ、社民、民社が各1名、それに佐野、篠原、若竹、林、そして漢人。会派的に民主党、市民の党、林、若竹で最大会派「市民派議員クラブ」を結成、佐野も社民と、篠原は民社と会派を組み、漢人はひとり会派、9会派でスタート。その後市民派議員クラブは崩壊、3会派に分裂、11会派となる。変化の最後は女性議員が7名になったこと。比率は28%。全国的に見ても出色。
 このような変化は市議会に流動化をもたらし、密室性は後退、大久保市政に対するチェック機能を回復するきっかけとなった。

ひとり会派の選択
 選挙後初の議会を前に会派をどうするかという問題が浮上した。一つの選択はひとり会派で行くという道。もう一つは他の政党や無所属と組んで共同会派を作ること。与野党逆転となったことを受けて、野党側は漢人も含め、上記の「市民派議員クラブ」の発足を考えていた。最大会派となることで議長を握り、議会運営を有利に進めたいというねらいであった。またひとり会派には様々な制約があり、十分な議会活動はできず成果はあげられない、それも新人であれば尚更、という好意からのお誘いであったのかもしれない。「私の1議席を今の議会の中で有効に使っていくと考えればそのほう(会派を組む)が良かったかもしれません。でも、普通の市民の感覚で議会を見ていくこと、発言していくことを最優先に考え、そして長い目で見れば、ひとり会派『市民自治こがねい』として始めることがとても大切なことだと考えるに至りました。」(漢人あきこ) 迷った末の選択だった。その後は会派中心で進められていく市議会にあって、ひとり会派であることでの制約や不利益、ひとり会派であるが故に見えてくる議会のゆがみを取り除くのも漢人明子の議員活動の大切なテーマになった。

 そもそも会派というのはなんだろう。議員内閣制の国会ならまだしも地方議会に会派なんて必要なのだろうか。
 会派の大きさで議長、副議長、各委員会の委員長などが割り振られ、控室にしても会派単位、ひとり会派は相部屋が相場。ひどい地方議会になると一般質問も会派の大小で長さが違い、ひとり会派は回数制限があり、毎議会できるとは限らない。会派に所属していると、会派が議案に対して態度を決めてくれるので全く不勉強でも、議会中居眠りしていてもその決定に従い挙手すれば良いのである。
 議案に対する態度を決定する時、自分を支援してくれた市民と協議し自分の判断を決めていくといったことはない。市民との関係で民主主義は機能していない。議員と市民との緊張関係は全くない。会派主導の議会は活力を失い、民意との関係はなくなってしまっている。

 小金井市議会は現在12会派、ひとり会派が6つである。このことを否定的なことのようにいう人が多い。議員一人一人が明確な意見や立場、政策を闘わせ合意をつくりだすことが基本であろう。会派などいらない。スムーズな議会運営のためということなのだろうが、議会外での密室協議に道を開き、議会の空洞化を生み出すだけである。大会派と話をつければ議会運営はスムーズに行く、会派が大きければ取引も可能だ。市長と議会の緊張関係、行政に対するチェック機能は衰退していくことになる。
 多会派化のなかで小金井市議会は活気を取り戻し、居眠りするのもはばかれる状態になってきた。徹夜議会も珍しくない、空洞化に歯止めがかかった。

 

 Ⅱ 市民自治こがねい本格発進


 当選から2ヶ月後、5月。本格的活動に向けて市民自治こがねいの第1回総会が開かれた。組織体制を整え、簡単な規約、会費、ニュース発行などについて決めた。組織のあり方としては緩やかなもの、誰もが参加しやすい組織でありたい、活動するなかで必要なことは決めていく、そんな了解の下でのスタートであった。代表は3人の共同代表制、漢人さん、可知めぐみさん、と私。運営委員は13名が選出された。半分以上が女性、年齢は60代から30代。
 運営委員会は月2回、運営委員以外も参加は自由、お互い率直に意見を出し合い、議論を通じ合意をつくりだしていくことを大事にしながら運営されている。最初の頃は、議案についての評価や態度をどうするのか、議会の古い慣習に対してどう向き合い、変えていくのか、市民の感覚や声をどのようにして議会に届けるのか、一つ一つがはじめてのことばかり、難しい行政用語に惑わされながら、手探りの中で一つ一つ判断していく、運営委員会の議論はいつまでも遅くまで続いた。
 違いを認め合い、信頼と合意を大切にしながらの運営が市民自治こがねいの活動を支えてきた。
 やりたい人がやる。頑張れる人が頑張る、無理強いはしない、それぞれのペースを尊重する。足はひっぱらない。ちょっと一休みもOK。また動ける時に動けば良い。いつでも戻ってこれる。いいかげんと言えばいいかげん、でもこのルーズさが生命力なのだと思う。

情報公開条例
 情報公開条例は1998年1月の臨時議会で全員一致で制定された。三多摩では遅れての制定ではあったが、その内容は全国レベルで見ても極めて高い水準ものとなった。しかし1997年の9月議会に市長から最初に提案された情報公開条例案は審議会の答申に比べ後退する内容であった。市民自治こがねいの運営委員でもあり審議会の市民公募委員であった市原さんのよびかけで学習会を重ね、漢人さんも含めた野党系議員も市民と連携し12項目の修正案を提出。これが野党多数の市議会で採択された。しかしこれに対して市長は再議権を行使、その後の交渉を経て、市長自ら8項目を修正し再提案、全員一致で可決されたのである。選挙を経て誕生した新しい市議会が市長の提案を市民参加型に変えたのである。チェック機能を低下させていた市議会が本来の役割を回復しつつあることを実感させた。また市民と議員の連携が大きな意味を持ったこと、市民が動くことで市政が変わることを共有できた。そしてそこでの市民自治こがねいが果たした役割は決して小さくなかった。

開かれた議会に
 他市に比べれば、いまでは少しはましな小金井市議会。それでも市民から見れば、まだまだ閉鎖的、非常識が常識となってまかり通る。議員になって1年たった漢人さん、市民にわかりやすい開かれた議会にしていくための提案を積極的に開始した。①委員会協議会・会派等代表者会議の議員傍聴の受け入れ②委員会協議会の原則公開③外国人、未成年などの議会傍聴許可制廃止④議事録の議員・職員の君付けの廃止などの提案が実現された。市民にとって議会をより身近なものとするために一層の公開性と透明性、参加性を高めていかなければならない。議会改革は市民自治こがねいにとっていまも重要テーマである。

審議会 ~アリバイづくりの場から市民参加の場へ
 市民自治こがねいは市民自らが市政のあり方やまちづくりに主体的に参加していくためのシステムづくりについて積極的に発言してきた。その一つが審議会のあり方についてである。
 市長の諮問機関である審議会はこれまで市長の政策が正当化するためのカクレミノであったり、アリバイ、やらせの場であった。この審議会のあり方を私たちは問題にした。審議会は多くの場合、市長や行政が推薦する有識者、市内の既存の団体代表、議員によって構成されており、公募によって市民が委員となることは漢人さんが市議になった8年前には40のうちわずか3つでしかなかった。諮問したといっても、答申内容はあらかじめ決まっていたといっても良かった。単なる市長の政策を権威付けるための儀式みたいなものであった。

 私たちは市民の公募を積極的にするように働きかけ、一方で議員の兼職にも異議を唱えた。
 98年の9月議会に陳情を行い、12月議会では漢人さんが一般質問で取り上げ、その改善を求めた。その結果、陳情は趣旨採択され、その後、議員枠は大きく縮小、一方で公募による市民枠は審議会の設置にあたっては当然のことのように設けられるようになった。市民参加は市民自治こがねいの一貫したテーマである。2000年の秋には市民参加をテーマにしたフォーラムを開催、三鷹市や志木市の実践に触れ、審議会の市民委員へのアンケートも行い、問題点を明らかにしてきた。個々を改善しながら、同時に市政のありかたをかえるため、市民参加条例の制定に向けた取り組みがはじまった。

市議選をめぐって
 市議選から2年目、市民自治こがねいとしてはじめての市長選を迎えた。
 大久保市長の引退ということもあって、市民派としての候補擁立ができないか、積極的に動いた。市内に住む著名なジャーナリストAさんに対する働きかけが市民と政党(共産党、市民の党)によって行われた。しかし、受けてもらうことはできなかった。そして、結局は大久保の後継である稲葉、民主党は神奈川座間市から候補者を連れきた。共産党はパスできないと市議であった大鳥を急遽候補者にしたて選挙戦に望んだ。市民自治こがねいはどうするか。なんどとなく激論が繰り返され、初めての採択で、よりましな大鳥支持を決めた。
 しかし結果は敗退、稲葉が市長となった。

より良き介護保険をめざして
 市民自治こがねいがプロジェクトをつくって積極的に取り組んだひとつが介護保険である。2000年4月の制度導入を前に、市民の中には介護のしくみがどのように変わるのか、疑問や不安が広がっていた。市民自治こがねいは市民に呼びかけ4回にわたる学習会を行い、問題点や課題について学び、介護の新しいしくみをより市民(利用者)の立場を生かしたものにしていくための『意見と提言』をまとめ、市と策定委員会に提出した。また同時に市内の関係団体と個人に交流と連携を呼びかけ、1年にわたる準備会を経て「小金井の介護を考える会」となって結実した。そのような市民の動きと市への働きかけ、そして漢人さんをはじめとする議員との連携もあって『意見と提言』の多くは介護保険条例の中に活かされたのである。ここでの経験と方法は私たちのひとつのスタイルとなった。

開かれた空間を求めて 事務所移転
 事務所は選挙時、作業場としていたところが3年契約であったためを引き続き使うことになった。この北大通り沿いの事務所はカラオケバーのある2階の奥で一見アジト風、初めてだとちょっと近寄りがたい感じ。障害のある人にとっては階段しかなく、どなたでもどうぞ、とは言いにくい。そこで3年目を期して引っ越し大作戦。今の事務所へと移ったのである。新しい事務所は家賃が少し高くなったこと、スペースがちょっと狭くなったことを除けば言うこと無し。駅には近く、人通りもあるけやき通りに面した1階角地。隣は人気の焼鳥屋さん。ぶらっと立ち寄る人、張り出したチラシをのぞき込む人、そして行き交う人には漢人明子と市民自治こがねいの看板が否応無く飛び込んでくる絶好の場所。風通しも良く、敷居も低いこの事務所、誰もが立ち寄れる開かれた空間でありたい。また事務所を使っての談話室やバザーなど交流の場としての可能性も広がった。
 発足から4年間、運営委員会は月2回、100回を数えた。ニュースは年8回、40号、発行部数は2200。会費納入者はおよそ60から70名、ニュース購読カンパ者は170名。

議員定数削減
 議員定数の削減の陳情が出され、賛成多数で採択された。多様な民意を反映すべき議会の自殺行為ともいうべきものである。削減し、議員報酬を上げろ、という議員さえ現われた。定数削減を積極的に進めたのは民主党。陳情=市民の声という形をとり、議会と議員への市民の不満を削減へと誘導するという、とんでもないやり口。自民、公明、社民がのり、定数は25から24となった。

 

 Ⅲ 漢人あきこ2期目当選 …されど最下位


 議員の宿命、4年に1度の選挙がやってきた。
 2期目は危ない。定数が1つ減り、漢人さんとPTA活動を一緒にやっていた女性が立候補したのも影響した。「漢人さんは市民自治がついているから大丈夫」というある女性候補者の誉め殺し、また公明党は「漢人は隠れ共産党」というデマ宣伝も効果があったようだ。内輪の盛りあがりは前回以上、最終日の駅前では派手な宣伝戦を繰り広げ、約80名が商店街を通り、事務所までパレードするという盛りあがり。しかし、電話かけをしていてもなにか、壁にぶつかったようで、反応がいまいち、目標の1200票は最終日まで読むことができず、私はこれはヤバイかも… パレードからもどってきた人たちにその厳しさを伝え、残された数時間一人が一人に漢人への投票を呼びかけて欲しいと訴えた。そして、ここにいない協力者に手分けしてその旨伝え、最後の追い上げをお願いした。それは決してお決まりの常套句ではなかった。最終日の事務所での電話かけよる9時を過ぎても続いた。
 最後は7台の電話では追いつかず、携帯を使っての懸命の電話かけとなった。最終集計、やはり届かない。

 今回の選挙ははじめての翌日開票。やけにイライラ、しかし待つしかない。そしていよいよ開票がはじまった。
 ヒヤヒヤドキドキの開票、得票数は1052票、4年前40票ほど延びたが、順位はなんと最下位、次点とは12票差。私たちの運動量は前回以上ではあったが、市議会議員漢人明子と市民自治こがねいへの市民の評価は必ずしも票には現われなかった。

選挙結果 市長批判派多数に 女性議員比率全国一
 最下位であったが漢人さんの議席は保守系現職女性候補と競い合いの末のものであった。その議席が「少数与党」をもたらすという重大な結果となった。その後の議会運営に大きな影響をもたらした。
 また、女性議員も24名中9名、比率で全国一となった。
 政党別に見てみると、自民党・保守系無所属が8名から6名、公明党は3議席で現状維持、共産党が1議席減らし4議席、民主党が3から4名、市民の党2から3名、生活者ネットが1から2名、市民派無所属が漢人ともう一人。社民党が1議席で現状維持。旧来の革新が衰退し、新しい市民派が成長していることを示した。同時に市民派とは、という問題にも向き合うことになった。

市民自治こがねいとは アンケートを読みながら
 選挙結果をうけて、市民自治こがねいの活動を今後どうするか、議論が始まった。その一環として市民自治こがねいとは一体なんなのか、何をめざそうとしているのか、約400人にアンケートを行った。戻ってきたのが70通、回収率約2割。これを多いと見るのか、少ないと見るのか。アンケートをお願いしたのは会員をはじめ、ニュース購読カンパをいただいた方、選挙の時にいろいろ協力下さった方など、多くは市民自治こがねいに共感を持っていただいていると思われる方々。それにしてはチョット少ないのでは、という気もするが、A4・4ページにもわたるアンケートに丁寧に答えていただき、その約半数が自由記述欄に意見を書いてくれており、寄せられた思いは十分刺激的だった。
 そこでアンケートを読みながら、「市民自治こがねいのこれから」について考えてみたい。

 市民自治こがねいの印象について「緩やかな政治グループ」「漢人あきこの後援会」「市民運動のネットワーク」「勝手連のような無党派衆」と答えた人が20から30だった。恐らくこの4つの要素がうまく絡み合っているのが市民自治こがねいの「らしさ」ということなのだろう。
 世の中には市民によるグループは多種多様、しかしこのように4つの要素を持ったグループというのはなかなか珍しい。どこかにモデルがあるわけではない。自分たちで手探りでつくりあげていかなければならない。それは試行錯誤であり、傍から見れば無駄なこともしていると見えるかもしれないが、それを楽しみながら、今後とも4つのバランスをとりながら進んでいきたいと思う。

 イメージについては「親しみやすい」「明るい」「前向き」に続いて「あいまい」が17と多いのが興味深い。「あいまい」を良い意味でとらえるのか、それともマイナスに考えるのか。ある人が自由記述欄に「意識的な曖昧さは・緩やかさというものは市民自治の基本にとって、とっても大切である」と記している。ただの「あいまい」では単なる優柔不断、いいかげんということになる。確かに「意識的」ということが大事なのだろう。私たちは残念ながらまだその境地には達していない。「市民自治こがねいのこれから」でも「曖昧さを活かして、…」に24人がその重要さを指摘している。きっと「意識的な曖昧さ」とは「しなやかさ」ということなのだろう。

 武蔵小金井駅南口再開発について「白紙に」と答えた人がダントツで37。市長案に賛成はたったひとり。この結果は極めて象徴的なことだ。市民自治こがねいに共感する人はナント偏っているのだろう。いや偏っている人が市民自治こがねいに共感するのか。自由記述欄を見ると「市長案はとんでもない。高層ビルはいらない!のんびりとした小金井らしい(田舎くさい?)まちづくりをやってほしい。ホッとする街・小金井、小さい商店・自営業が栄える街に」(前原・男性・50代)「田舎っぽい小金井が好きです!その雰囲気をどう活かしていくかで、素敵なまちづくりができると思うのですが。それと自然環境は一番大事なことだとおもいます。」(前原・女性・50代)「新宿―立川間で最も田舎っぽい小金井の良さをどうしたら残せるのか」(桜・男性・50代)といった意見が寄せられている。いずれも50代だが、50代は田舎っぽさがお好き、と片付けるわけにはいくまい。「田舎っぽさ」は時代に遅れているということではなく、里山が持続可能な空間として再評価されているように未来につながる意味がこめられている。「白紙に」と答えた人の殆どは、今更、小金井が一周遅れのトップランナーを目指し、バブリーな開発型のまちづくりに走る必要はないのではないか、と考えているのだろう。そして恐らく再開発、是か非かということに留まらず、広い意味でのまちづくりについて、更にはこれからの社会のあり方について、市長をはじめ再開発を望む人たちとは思い描く社会像が違っているのではないだろうか。

 20世紀末、さまざまな神話が崩壊した。成長神話、土地神話、安全神話。そしてあらゆる物が制度疲労を起こし、行き詰まった。人々は経済だけをモノサシにした豊かさを問い直し、効率や能力主義・競争主義に惑わされない働き方、自然との共生をはかり持続可能な、地域循環型のスローな社会や暮らし方を模索し始めている。市民社会をつくる試みもはじまっている。
 そんな中から「市民自治こがねい」は誕生したし、これからもそんな人々の行動や思いと共にありたいと思う。そのためには私たちの思い描く社会像(ビジョン)を理念的に明らかにし、発信していくことが必要だろう。そしてその実現めざし、政策や計画を体系的に練り上げていくことが求められているのだろう。
 「ひとつひとつの課題と市の行財政全体をちゃんとつなげた政策として組み立てられるように」と2期目を迎えた漢人あきこさんその決意を語っていた。このことは議員としての漢人さんだけでなく市民自治こがねいのこれからにも求められている。政策能力を高めることで市政や議会に対する影響力も拡大し、市民との結びつきも強まってくることになる。「これから」への期待で最も高かった「市政・議会との太くてやわらかいパイプ役」としての役割を果たしていきたい。

 アンケートでは理念と政策をもっとはっきりという声が多く寄せられた。しかし、それは決して容易なことではない。さまざまな分野での市民の活動の経験や思いを寄せ合い、ネットワークを広げ、その共同作業の中から可能となるのだろう。
 地域を耕し、地域から世界と地球を結ぶ。そんな道を共に探っていきたい。
 私たちの共通の思いがあるとすればそれを理念的に明らかにし、伝えていくことが必要だろう。私たちは日々の活動を通じてどんな社会をめざしているのか。どう変えたいのか。そんな問いかけをしてみても良いだろう。共感するところがひろがったと感じている人たちとその中身を共につくりあげていくことが求められているのだろう。

 『私たちのめざすもの』をまとめたらどうだろうか。
 右肩あがりの経済成長至上主義を問いなおし、自然と環境との共生、地域循環型・持続可能な社会を。能力主義・競争主義、効率性、「豊かさ」を問う。差別のない社会。非武装、市民外交。地域主権、市民社会を作る。地域から世界と地球を結ぶ。などなど、もう一つの道を探る。

 そして政策についても、市民自治こがねいに関わる一人一人が関心を持つテーマや活動、そのなかから見えてきたものを「市民自治こがねい」に持ち寄り、重ね合わせ、政策に練り上げていく、そんな活動を今まで以上にとりくまなければならない。
 「ひとつひとつの課題と市の行財政全体をちゃんとつなげた政策として組み立てられるように」していくことが、議員としての漢人さんだけでなく市民自治こがねいにも求められている。政策立案能力高めることで議会に対する影響力も拡大し、市民との結びつきも強まってくることになる。
 理念だ、政策だ、といっているとややもすると敷居が高くなり、「専門家」の集まりとなり、政治から人々を知らず知らずのうちに遠ざける結果になりかねない。そうなったら本末転倒。広場としての性格を失わず、開かれた活動を心掛けていくことが今以上に大切になってくる。

 最後に、アンケートの「これから」で思った以上に?意見が多かったのが「市議会議員の複数化」である。
 市議会が市民の多様な意見が表現され、理念や政策によって選ばれた様々な立場の議員によって構成されるのが望ましい。同じ意見、同じ立場による過度の多数化は議会の力を衰退させる。地方議会に会派はいらない。与党も,野党もいらない。議員一人一人が自由に発言し、判断していくことが大切である。市民自治こがねいが議員との関係を「議員は議員活動について会に報告し,討議に諮る。議案に対する最終判断は議員がおこなう。」としたのはそのためである。アンケートでは複数化を望む声が高かった。それは素直に考えれば市民自治こがねいへの期待の現れだろう。また一人では限界がある、ということなのかもしれない。可能であれば、条例提案権を確保するため2名にはしたい、あくまでも可能であれば。

 アンケートの集計を見ながら私個人はホッとした。「イメージ」で「冷たい」が沢山あったらどうしよう、「5年を経て漢人さんはあなったにとって」「遠くなった」が多かったらどうしよう、などと考えていたからである。アンケートに応ええていただいた人は本当にあたたかい。そんな気持ちにのってしまい「我田引水」的に解釈してしまったかもしれない。アンケートを今も大事にしまいこんでいる8割の人たちの声なき声にも耳を傾けながら、これからも進んでいきたい、と思う。

市民自治こがねい総会
 選挙後の総会では新たに18名の運営委員が選出され、市民自治こがねいの2期目がはじまった。
 1期目の4年間は運営委員会中心の傾向が強かったが、総会を受け、2期目の運営はより多元的なものとなった。これまでの市民自治こがねいニュースを市民自治こがねいの機関紙『散歩だより』とし、編集主体は編集委員会、漢人あきこの市議会れぽーとの分離独立、市の財政や行政のあり方を検討する「財政プロジェクト」、HPプロジェクト、5周年イベントなど。「散歩だより」は2800部、年4回、市議会れぽーとは年8回、うち4回は10000部配布。朝の駅頭宣伝も議会の前後に8回×5ヶ所。宣伝力は1期と比べ1・5倍~2倍に拡大した。

申し合わせについても一部改訂した
■目的と性格
 市民が主体的に発言し,行動し,市政のあり方を変え,ひとりひとりの人権が尊重され,誰もが生きいき暮らせる自治が息づくまち=小金井をめざします。
小金井生まれ,小金井育ちの市民の集まりです。

■活動
①目的に賛同するものを議会に送り出すため活動します。
②送り出した議員の議会活動を支えます。
③政策提言をすすめます。
④市民への情報提供、問題提起を行います。
⑤運動や活動、交流をすすめます。
⑥他地域との交流をすすめます。
⑦ニュースを発行します。

■運営
会員の主体的参加と相互の信頼を基礎に運営されます。
違いを尊重し、議論を通じての合意に努力し,その上で会の意思を決定します。

★また、議員との関係についても以下のように整理した。
・議員は会の目的実現のため議会活動を行う。
・候補者は会員の中から総会で決定する。
・議員は議員活動について会に報告し,討議に諮る。議案に対する最終判断は議員がおこなう。

 

 Ⅳ 第2期 新たな試み


5周年イベント
 1年に1度、私たちは時間をかけ準備するイベントを開催している。新しい出会いや私たちのメッセージを広く届けるためである。実行委員会を作って、全戸にチラシを配っている。
 選挙後のイベントは結成5周年であることもあって、5ヶ月かけて準備された。その内容は市民自治こがねいの活動を若い世代に知ってもらい、まちづくりや敬遠しがちな政治に少しでも触れてもらいたい、そんな思いで企画された。実行委員会も若い人たちが中心。20代が4人、30代2人、それにチョット先輩の漢人、私が加わり、準備活動は始まった。若いスタッフが知恵と労力を出し合い、最初は同世代の川田龍平さんのトークだけの企画が年を越え、実行委員会を重ねるたびにあれもやろう、これもやりたいと話しが膨らみ、気がついたら公会堂の1階のすべてを使っての楽しみ満載、メッセージ性十分の半日がかりのてんこ盛り企画となった。

 ひとつは新!小金井暮らしのススメ展。巨大な?小金井のマップが登場。個性溢れる小金井のお勧めスポットを一挙紹介。当日参加者とみんなでとっておきのオリジナル地図を完成させた。マップづくりのためのプレイベント、探検ツアーも行われた。市内のNPO、市民事業、市民グループの活動紹介。更に地元の農家から新鮮野菜も並び、小金井がまた好きになるといった感じの展示になった。
 もうひとつはHIVでなくなった方の遺した布で作った「メモリアル・キルト展」。キルトとゆっくり語り合う、出会いの空間が作られた。
 そしてなんと言ってもメインは川田龍平さんのトーク。
 5時からは川田龍平さんも一緒に交流会。神出鬼没の『yadocarism』が簡単な軽食を用意、楽しいひとときを過した。

 この日の参加者は82名、その半数は初めての人たち。ネライであった若い人の参加はこれまでのイベントに比べ少しは目立ったのではないだろうか。100人には及ばなかったが、 5周年イベントはマズマズの成果をあげた。このイベントの成功の中にCAFEぼちぼちへのヒントがあったのだ。

談話室
 一方で、小さく行っているのが談話室である。これも大事な活動のひとつ。
 私たちの身近で、様々な試みをしている地域の人や体験をした人などをゲストに呼んで、チョット得する話をしてもらう事務所を使っての「談話室」。毎回の参加者は10名前後。これまで20回ほど開かれた。企画はゲストも多彩で結構バラエテイに富んだものだ。女性海外派遣でデンマークに行った千村さんの話、公共工事の入札制度の改善策を語ってくれた設計士の岡田さん、山形新庄のおいしいご飯を食べながら生産者と交流、ビデオを見ながら里山を考えたり、水道局の方をゲストに地下水の話、NGOで活動した渡辺さんからはラオスでの体験を聞いたり、といった具合。参加した人はある時はおなかも一杯、心もチョット得した気分になる貴重な時間。地域で動いている人から話を聞き、そのこだわりに耳を傾け、共感する。そんな中で人と人が結びつく。そしてそこから新しいなにかが始まる。

 

散歩だより
 1期目の4年間も市民自治こがねいのニュースは運営委員会が編集主体となって年4回、約2200軒に届けてきた。2期目に入って、漢人の責任編集の「漢人あきこの市議会レポート」と編集委員会による「散歩だより」に分離、「散歩だより」は市政やまちづくりのさまざまなテーマをみんなで一緒に考えよう、市民の目線、読みやすさや親しみやすさを大事にしながら編集することにした。この4年間の特集テーマを一覧すると、

 第54号 2005.1.5 50年の計は現在にあり ~小金井50年後新聞~
 第53号 2004.9.18 特集・提案します 小金井市のごみ半減計画!
               二枚橋焼却場は、もういりません!!
 第52号 2004.6.19 特集・スローライフ① 小金井の農業は、なくなってもいい?
 第51号 2004.3.20 審議会って 何をやっているの?
               審議会ってどうなってるの?アンケート集計
 第50号 2003.11.20 ・・・だから小金井。スローライフでまちづくり
 第49号 2003.9.10 だれがしてるの?「市役所の仕事」
 第48号 2003.6.15 ドキュメント 市民自治こがねい 初めての市長選
 第47号 2003.3.3 税金・年金から考える 女性の働き方&男性の働き方
 第46号 2002.10.30 老いても地域で暮らしつづけるために
 第45号 2002.7.26 クイズで日本の旅! 小金井市のごみの行き先は??
 第44号 2002.4.30 住民基本台帳ネットワーク ってなに?!
 第43号 2002.2.9 わたしたちのまち、だから「市民参加」!
 第42号 2001.10.27 どうなってるの?武蔵小金井駅南口 再開発
 第41号 2001.7.2 「エコ」が、いま新しくてかっこいい!

年4回、約2500から2800軒に届けてきた。そのうち約半分はメンバーによって手配りされている。小金井の市民団体でこの規模で機関紙を発行しているところは他にない。政治団体でも共産党だけだろう。「散歩だより」は機関紙というより、小金井を知り、考えるための「読み物」として定着してきているように思える。

市民参加条例
 私たちが強く求めていた市民参加条例がようやく動き出した。
 2001年6月、市民参加策定委員会の市民公募が行われた、応募者の中から3名が選ばれた。策定委員会は公募委員の大賀さんの働きかけもあり、傍聴者の発言が認められた。恐らく初めてのことである。型破りの策定委員会を目指し、市民も参加する市民懇談会も開催された。市民の動きも開始された。市民公募の委員や傍聴者、さまざまな市民活動をしている人たちが集まり、「小金井いきいき!市民参加条例をつくる市民の会」がつくられた。ワークショップや学習会、ニセコ町長の話を聞く会を開くなど、市民自らが主体的に条例づくりに関わった。公募委員や市民懇談会に参加した市民の強い要望で答申の期限2002年3月まで延長することになった。「つくる会」は委員長案に対する意見をまとめ、市民案づくりを行い、策定委員会に提案していった。パブリックコメントを経て、最終案が答申され、市長案が議会に上程された。審議会の公募制、男女比、市民投票制、パブリックコメント、市民参加推進会議の設置などを盛り込まれた市民参加条例が成立した。前文は「市政の主役は市民です」と宣言した。

 市民が積極的に審議会委員に公募し、議論やそのあり方に影響を与え、一方で市民たちは自主的にグループを作り、学習し、市民に働きかけ、提言をまとめ、答申案をより良いものにしていく。市長が、その答申案を薄めたり、歪めた時には市民グループは議員に働きかけ、修正させる。
 このようなスタイルはその後、給食検討委員会、まちづくり条例、子どもの権利条例など、さまざまな分野で行われるようになった。市民が主体的に市政に発言し、政策決定に関与するようになった。物言う市民の登場である。明らかに小金井は変わり始めた。

 

 Ⅴ 2回目の市長選


緊張感ある市議会と市長の関係を
 市議会と市長は車の両輪。行政の長としての市長の行政運営に市議会が監視的機能を常に発揮することによって市政は公明性や公開性を担保できる。市長と市議会に緊張関係が必要である。

 もし、与党が議会の多数として市長の方針を無批判に受け入れ、少数である野党の批判を無視するならば市議会は監視的機能を失い、その役割を果たさなくなる。与党化することで政党・会派は利益誘導型の政治の回路にはまり込み、単なる市長の応援団と化す。
 それは現在の稲葉市長と与党の関係もそうであるし、かつての社共による革新市政もその傾向が色濃くあったといえる。

 市議会は国会とは違い議院内閣制ではない。そもそも与党、野党ということ自体がおかしい。会派自体もおかしい。24人の議員ひとりひとりが自らの判断によって意見を述べ、討論し、市民の多様な意見を反映し、合意形成していくことがのぞましい。現在の小金井市議会が9会派に分かれ、議案の採択によっては会派自体が割れることは必然であり、健全なことである。

 如何なる市長に対しも、議員は常に批判的であるべきである。自ら支援し、当選した市長であってもである。支援したからこそ市民の視点からの厳しい検証が常に求められているのである。支援したからといって全てを委任したわけではない、そして市長も支援されたからといってその政党や議員から縛られるものではない。このような関係が緊張ある関係をつくりだしていくのである。市民自治こがねいは支援する候補者が当選したとしても、このような姿勢を堅持する。

初の市民派市長候補
 2003年。まちづくりの会を中心的に担ってきたまちづくりプランナーの土肥英生さんが立候補の決意を固めた。
 最初に働きかけをしたのは民主党系の人たちだった。私たちは土肥さんが決断するまで静かに待った。というのは私の知っている限り土肥さんの考えと民主党系の人たちとの考えの間には大きな違いがあると思ったからである。市政の中心課題は財政再建、その為には市職員の削減をすすめるというものである。もし、民主党系の人たちのこの考えに沿った立候補であるならば、ちょっと乗れないな、と言うのが率直な気持ちだった。<br> しかし、土肥さんは立候補にあたって「歩いて暮らせるまちづくり」を市長選の中心テーマとして闘うことを表明した。当然、再開発については見直しという考えであった。そして政党からの推薦や政策協定を結ぶことはしない、自らの政策に賛同する政党、団体はそれぞれの判断で支援して欲しいと表明した。彼は市民が主体となっての選挙がすすめらないかと考えた。「小金井再生工房」が選挙母体として発足した。

 私はまちづくりの会の発足当初から一緒に活動したことがあるので、彼については少し知っていたが、市民自治こがねいの多くの人たちは「土肥さんってだあれ」という状態であった。土肥さんの話を聞く会を開催するなどしながら、直接彼の考えや政策について話し合う場をつくり、運営委員会としての判断を固めていった。そして最終的に土肥さんに対する支援を決めた。

 再生工房に生活者ネット、市民自治こがねいが初期の動きを支えた。声をかけた民主党系の人たちは思惑が外れたからか、引いていった。逆に共産党がのってきた。民主党小金井支部は注文は出すが今ひとつ態度が明らかではなかった。民主党の扱いに土肥さん自身は迷っているようだった。市民が主体での市長選をしたいという思いはあるものの、短い期間の中で理想的にいくのか、素人集団で闘えるのか、不安があったのであろう、民主党の「選対本部を政党参加」でつくるという要求を受け入れることになった。再生工房に集まった市民、市議をかかえる共産党、民主党、生活者ネット、市民自治こがねい、市民の党の稲垣が個人として参加し選対本部が作られた。

 政党が表に出始め、不協和音はありながらも選挙は本番へ向けすすんだ。2連ポスターは共産党と民主党の掲示板に張られた。新聞にも支持政党の名がならんだ。市民と政党との間は必ずしもうまくいかなかった。市民にとっては政党選挙に移ったとみえただろう。土肥さんにとっても思いと外れたことも多かったにちがいない。小金井の市長選において政党からではなく、市民活動から候補者が立つのは初めてのことであった。そのことの意義は大きかったが、選挙戦は市民選挙を貫くことができなかった。武蔵小金井駅南口の再開発問題が大きな焦点とした事実上の一騎打ちとなったが、結果は敗北。土肥さんの票は16000、対する稲葉は20000であった。

 

 Ⅵ 市長辞任その背景  行き詰まった再開発


 稲葉市長は2004年6月1日辞任表明を行った。「再開発について、民意を問う」ということで、再出馬の意向も明らかにした。記者会見では再開発への揺るぎ無い意志を表明するためとの理由も語っている。恐らく苦し紛れの窮余の一策であったのだろう。東京都と公団へのパフーマンスではないだろうか。2003年の市長選挙以降、武蔵小金井駅南口再開発を巡る状況は稲葉市長が思うように進んではこなかった。ひとつは事業認可申請に対する意見書提出で明らかになった反対地権者の増大(30名前後)である。地権者が現計画に反対の意思表示したことは、計画の根拠が大きく崩れ始めたことになる。もうひとつは、市議会において、現在の再開発プランに賛成から転じた人を含め、反対の議員は過半数を超え、本年度一般予算が2度にわたって否決され、再開発予算が確保できず、自らの調整能力のなさ、合意形成能力のなさを露呈した結果の辞任劇である。仮に狙いどおり勝利しても、市議会との関係は一層溝が広がり、合意形成は極めて困難になる。そしてまた反対する地権者を力ずくでねじ伏せようというのだろうか。事態は深刻化することは明かである。

 市民はかやの外である。再開発とその手続きに対する市民の疑問や指摘に全く応えることもせず、参議院選挙との同日選挙を選ぶことで自らその道を塞ぎ、市民との対話を拒絶した稲葉氏の態度は市民無視も甚だしいといえる。「民意を問う」とはあきれてものが言えない。辞職そして再出馬、まさにひとり相撲である。

 そして一方、市民の全く知らない、それ故評価も出来ない柴崎氏を連れて来ざる得ない民主党など「責任野党」も市民が視野に入っているとは言えない。市民不在の候補者擁立劇の結果の選挙戦突入である。

 本来であれば選挙はそれぞれの候補者に対する信頼と支持を競い合うものである。しかし今回の市民不在の市長選は稲葉氏に対する批判票と柴崎氏に対する批判票を競い合うという形で展開された。いずれが勝とうがその候補者への支持の多さを意味しない。相手方への批判票が多かったというだけである。市民自治こがねいとしては柴崎氏を評価する判断材料を残念ながら有していない。それ故、評価を明らかにすることは出来ない。そこで、具体的な投票行為としては、今回の茶番ともいえる市長選の最大、最悪の仕掛け人は稲葉氏であり、その批判票を柴崎氏に投票する、さもなくば白票で批判の意志を明らかにするという判断を行った。
 選挙結果は稲葉市長が25000票を獲得、柴崎氏は20000票だった。

 

 Ⅶ Cafe"ぼちぼち"誕生


ここ数年、女性たちによる市民事業が目覚ましい
 ひとつは介護保険制度のスタートを受けて、NPOという形をとった介護保険事業である。それはヘルパー派遣、デイケアの事業所、民家を利用し子育てと介護を結びつけた小規模多機能な事業所、配食サービス、子育てサロン、市民が主体となってサービスを提供するNPOが10ヶ所あまりゾクゾクと誕生した。
 もうひとつは起業である。スローフードを掲げ、地場野菜を食材に使うことを心掛けている若い女性が始めたケイタリングとお惣菜の店、主婦がひとりで始めたこれまたお惣菜の店、つい最近動き出したのは、リヤカーに火鉢をのせコーヒーをわかす移動喫茶店、障害者たちに働く場をという思いで始まったパン屋さん、英会話が学べ、外国人が集まる喫茶店、女性だけのガーデニンググループなど、ユニークでアイディアいっぱいのものばかり。農家と結びついて付加価値の高い江戸野菜を栽培し、レストランも作ろうという地元農工大の学生たちを中心にしたプロジェクトも動き出した。
 女性たちは雇われてもなんぼでしかなく、身分も不安定、どうせそうなら自分らで事業を起こしてしまおうというのだ。介護、子育て、緑、食などを通じ、人と人をそして地域との結ぶつきを作り出そうとしている。小金井にそんな試みがあちこちで芽を吹き出している。

“ぼちぼち”OPEN
 そんな動きに刺激を受け、毎年行ってきたイベントもひと工夫することになった。
 「スローライフ」をテーマに何かできないか、従来型の講演会ではなく、何か心地よい空間が作れないか。感じる空間ができないか。知恵とアイデイアを出し合った。その結果、一日だけのCAFEをやろうということになった。名づけて"ぼちぼち"。スローな暮らし方、働き方をしようというメッセージがこめられていた。起業しつつある女性たちに声をかけお店を出してもらい、音楽好きに演奏を頼み、自宅分娩を始めた助産婦さんを始め起業した女性たち、まちづくりの活動など小金井でさまざまな試みを始めた人に5分間のトークをお願いした。"ぼちぼち"は小金井って結構.おもしろい動きがあるんだということを実感する場になった。お土産はオリジナルの小金井スローライフマップ。参加者ははじめて100人を超えた。

第2回Cafeぼちぼち 
 2005年1月30日(日)小金井公会堂で"一日だけのCAFEぼちぼち"がOPENした。
 2時のOPENを前にお客さんがやってくる。それも知らない人ばかり。これは漢人さんの勝ちかな。私は昨年並の120人ぐらいを予想したが、漢人さんは160人。
 会場なった1Fホールはほぼ準備は整う。アフリカの大きな布でステージのバックや、周りの壁を飾り、真中にテーブルが6つ、椅子は50脚、テーブルの上には布がかけられ、ロウソクのやさしい灯り、花とみどりがおかれる。周りをぐるっと8つの店が囲む。スローフード、地産地消の"ヤドカリズム"、お惣菜とケータリングの"キッチン暁子"、リヤカーに火鉢をのせコーヒーを沸かす"出茶屋"、国労闘争団の物資販売、寄せ植えや苔盆栽は"園芸生活ほ・うら"、深大寺ビール、ハーブティ、有機野菜。電気が消され、ロウソクの灯が浮かび上がる。いつもは殺風景なホールがゆったりとしたスローな空間へと生まれ変わった。
 2時OPEN。あっという間に満席。子どもずれもやってくる。子どもむけにワークショップや隣接の部屋は駈けまわることもできるように開放されている。トップは三線の演奏、続いてオカリナ、そして3時からはライブ、今日のメイン、さらにお客は増え、椅子を出しても間に合わない、動きが取れないほどの立ち見。ピーク時130人は超えている。1時間のライブのあとはトーク。江戸野菜のプロジェクトを通じ小金井を元気にしようという農工大の修士、昨年市内の発足した子育てサロンSACHIの主宰者の発言、そのあとは再びミュージック。隣接の和室では治療院を開いているマッサージ師によるボデーワーク。自由に来て、自由に帰る、おいしいものを食べ、ちょっとビールやコーヒーを飲んで心地よい時を過ごす。音楽を聞くも良し、たまたま隣になった人とのお喋りするもよし、そんななかから発見と出会いが生まれていく。
 夜7時、お店も殆どが売り切れ、5時間に及ぶイベントもクローズ。アッと言う間にあと片付けも終わり、会場は殺風景なもとの1階ホールに戻っていった。
 参加したのは子どもを入れると200人近くが足を運んでくれた。初めて出会う人が約半分。大成功。私の予想も漢人さんの予想も上回るものだった。その後"ぼちぼち"は年1回開かれ、市民自治こがねいの恒例行事となった。

 

 Ⅷ 2005年 3期目の市議選


 2005年3月、あのCAFEぼちぼちの大成功から2ヶ月、漢人あきこ3期目の市議選がやってきた。
 武蔵小金井駅南口再開発事業を焦点にした今回の市議選。これまで少数だった推進派が勝つのか、それとも見直し派がひきつづき多数を確保するのか、最大の焦点であった。与党系は「100年のまちづくり」を合言葉に、昨年、一昨年の市長選の勝利をバネに立候補者を増やし、攻勢に出てきた。見直し派にとっては逆風のなかでの市議選となった。前回は、森政権の大不人気で自民党にとっては厳しい選挙だったことも大きく影響し、野党系が議席を伸ばし、稲葉市長はこの間、少数与党下での議会運営を余儀なくされてきた。再開発予算を盛り込んだ予算は否決され、3年続けての暫定予算となった。
 今回の市議選において、市長と与党は「市政の混乱の原因は野党にある」と宣伝、世論誘導に成功、多数与党に転じることに成功した。野党系は、民主党が市議選を前にして逆風にひれ伏し、再開発に協力を表明。また逆風は「根のない候補者」を無慈悲になぎ倒し、市民派にとっても厳しい結果をもたらした。「生活者ネット」が1名落選、1名は最下位での当選、市民の党は前回3名当選だったが、今回は2名が立候補、当選。無所属現職の市民派2名が落選。市民派もふるいにかけられた。社会党時代、最盛期は5名だった社民党が姿を消したこともひとつの歴史が終わったことを意味する。
 そんな逆風のなかで前回の最下位当選の漢人あきこは5割、500票増やし、1531票を獲得、11位(定数24)で当選することができた。見ている人はチャンと見ていてくれたんだ。

漢人あきこ 市民自治こがねいの活動が評価された 
 ヒヤヒヤの最下位当選から4年、漢人あきこと市民自治こがねいの活動は広がりを持ったものに成長してきた。市議会レポートは議会の前後2回ずつ、年8回発行。毎回約1万部を30名前後の人がポスティング。朝の駅での宣伝も同様、年40日、駅前に立ち、常に2名がレポートを配りつづけた。名簿にある2500名に市議会レポートと年4回発行の散歩だよりを配布、うち約1000部は30名が手配りで支えた。電話かけをしていての反応で印象に残るのは散歩だより、漢人れぽーとを読んでいる人が非常に多かったことである。
 そして、大きかったのはさまざまな活動分野にメンバーが参加したことである。市民参加条例、学校・教育、給食の民間委託、子どもの権利条例、マンション問題、介護、平和などなど、審議会の市民公募委員に積極的に参加、市長選挙へのかかわりなど多様な試みを重ねてきた。昼族の人たちとの繋がりもでき、多くの人たちと出会い、信頼関係を築いてきた。広がる市民事業、起業の動きとの交流やぼちぼちの大成功などを通じての広がりも進んだ。今回の結果は市民自治こがねいがしっかりと地域の中に根をおろしたことの証ではないだろうか。

これからの小金井 
 多数となった「与党」と稲葉市長は驕りの政治とアラっぽい議会運営を行ってくることが予想される。開かれつつあった市議会は再び閉ざされたものになるかもしれない。人権(ジェンダーフリー、子どもの権利など)政策も後退したものになりかねない。平和の意見書が採択されることは極めて困難になるだろう。漢人あきこの市議会での役割はひときわ重要になってくる。ややもするとこれまで議会での「多数野党体制」に依存する傾向があったが、これからは今まで以上に気を引き締め、市民活動、市民運動の自力をつけ、ネットワークを広げていくことが大切になってくる。政策実現能力をつけ、市民社会のあらたな可能性をつくって行くことが求められている。

   

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